これツマンネ。あれのほうが面白かったし。
ってなることが増えて、自分の周りがつまらないことだらけになってきてしまった。
特に映画、海外ドラマ、アニメ、漫才。この辺は顕著で、かなりひどくなっていました。
おもしろいものが最近全然生まれていない。が口癖になってきたころから「これはヤバい」と気づきました。
もうこれは病みたいなものだと思っている。
結構この病にかかっている人がいて、評論家気取りで優越感に浸っている時は気持ちいいんですが、なにも楽しめなくなってきているとなると問題です。
漫才を玄人ぶって見ちゃう
M-1グランプリとかキングオブコントとか毎年楽しみにしてるのにテレビの前でしかめっ面で見ちゃう。
今年はおもしろい漫才あるんだろうな。
っていういったいなに様なんだよって目線で見てる。
でだいたいおもしろくない。
で、キレる。
去年はもっと面白かったとか言って(去年も対して笑ってない)
次の日友達とあいつはつまらなかったとか上から目線で話す。
千鳥がとにかくおもしろくない
千鳥が東京にきた初期の頃ごり押ししていたくだりがあるんですが覚えていますか?
前半略
ノブ「お前酒臭いて。酒のんどるじゃろ?」
大吾「のんどらんて!」
ノブ「ほんだら息ハァーてやってみぃ!」
大吾「ほなら、はぁー!」
ノブ「いやっシンプルに口がくさい!」
これ最初に見た時のすべり具合が ハンパじゃなかったです。
とにかくテレビで見る度、このくだりを強引にねじ込むんですが、毎回すべる。結構前にやらなくなりましたよね。
この一連の流れをみて思ったことは、大阪の人は笑いの沸点低いな...
すごい自信満々で引っさげて東京で何回もやっているんで、大阪ではバカうけしたくだりなのでしょう。
大阪の人ってこんなんで笑うんだなとなぜか上から目線で思ってました。
大阪のなんばグランド花月をみて漫才の見方を知る
それまで私は漫才をなまで見たことがなかったんです。
テレビで眉をひそめて見て、ツマンネって言っていました。
大阪のなんばグランド花月ってベテランの方が結構出ていて、よく東京で見る若手お笑い芸人が出ているわけでもなく、正直笑えんのかと思ってたんですけど...
結果:爆笑
もう超面白い。あんなに笑ったのは久しぶりでした。
新喜劇とかもコテコテで笑えないんじゃ...と実は思っていたんですけどね。
一番笑ったのは新喜劇でした。
新喜劇って深夜とかに放送してるじゃないですか。
でもおそらくテレビでみてたら、そんなに笑ってないだろうなと。
ただ大阪のなんばグランド花月で見た時は腹がよじれるんじゃないかと思うくらい笑いましたよ。
大阪のなんばグランド花月の空気感が私を笑わせた
なんでなんでしょう。テレビで見ている時の声出して笑ったら負け感は。
とにかく静かに見るというのが私のテレビの見方です。これはどういう家庭環境で育ってきたかにもよるかもしれません。
大阪のなんばグランド花月は一つのボケごとにみんなが笑います。笑ってもいい環境作り、空気作りがされています。
で、自分で声を出して笑ってみるとどんどん楽しくなるんです。
どんどん面白く感じてくる。
ランナーズハイ的な感じになってきます。
すごい敏感になってきます。
ちょっとおもしろいボケでもビクンビクン!!
どんどん笑う体になっていくって言うんですかね。
おもしろいかどうかはコンテンツの質以上にコンテンツの受け取り手側の気持ちしだいなんだなと
今までの楽しみかたに問題があったことに気づかされました。
おもしろいと思えるかはあなたしだい
まあ、なんでもかんでも面白いみたいなのは気持ち悪いですよね。つまらないものは間違いなくあるはずですし。
ただ最低限の心作り、楽しむための心作りはしましょうよ。
「おもしれぇんだろうなぁ」じゃなくて「おもしろいといいな。どきどきわくわく」みたいな
年末やる「笑ってはいけない」もテレビで見ながら自分で笑ってはいけないルールみたいなの課してませんか?
あれ笑わずみるとどんどん冷めてっておもしろくなくなります。
でも年末のお祭り気分で見ると超楽しいです。
それになんのために映画、海外ドラマ、アニメ、漫才、その他もろもろを見ているのかもう一度考えてみましょう。
笑うためでないにしろ「面白い」って感じるためでしょ。
自分から楽しむ。この気持ちを忘れちゃダメかと。
漫才の見方なんてのは人それぞれなんですけどね。だから自由。
でも漫才を楽しみたいなら、自分から笑って見ましょう。
玄人ぶってコンテンツを分析するのは辞めて、真っ新な状態で作品を楽しんでみようよという話でした。