「了解」は敬語なのか
「了解」が敬語ではないのか。ビジネスマナーについて就活前に調べる大学生は多いと思う。
就職してから学べばいいという意見もありマナーに敏感になりすぎてもあまり意味はないという意見もある。
そもそもビジネスマナーとは相手に不快な思いをさせないようにという配慮から生まれたものだと思っている。私の個人的な意見だが相手に不快な思いをさせなければそれでいいのではないだろうか。だが言葉には歴史がある以上、慣習的にこう言うなどそれに従うことにやぶさかではない。
ビジネスマナーで『了解』はNGなどのネットの情報を目にした人も多いだろう。
本当のところはどうだろうか。「了解」という言葉は、管理職など上の立場に立つ人が使える言葉だという。自分より上の立場の人に「了解しました」と返事をしてしまうと間違った表現になってしまう。
だがビジネスマナー的に『了解』がおかしいのかについて私がこれ以上言及する気はない。『かしこまりました』が丁寧だとか『承知しました』が正しいだとか、まあそんなことは些細なことではないだろうか。
『承知しました』は「家政婦のミタ」の影響でなんとなく違和感を覚える人がいるかもしれない。
『了解』を一生使わないと決めた日
とにかくリュックが欲しい。とびっきりかっこいい奴だ。
街を歩いていたらおしゃれと誰もが思うようなそんなリュックが欲しい。おしゃれと思われたい。モテたい。(リュックでモテたりするわけないけど)
そんなわけで渋谷に来ていた。渋谷といえばおしゃれの聖地。
僕はおしゃれになるんだ。おしゃれにならなきゃいけないんだ(村上春樹小説の主人公風)。
あまりいったこともなかったがapple storeへよったついでに今は休業中のPARCO(パルコ)を見てみることにした。
そこで見つけてしまった。超かっこいいリュックを 。côte&ciel(コートエシエル)だ。街で見かける度かっこいいと思っていた。特徴的な形で嫌でも目を引く。僕は探していたんだこんなドヤ顔できるリュックを。mac bookを入れるスペースもある。mac bookもってないけど...
côte&ciel(コートエシエル)を置いていたセレクトショップの店員さんがなかなかの強者だった
服を見ていると店員さんが話しかけてきた。「試着する?」と聞かれたので「大丈夫です」と答えたのにその後もぴったりくっついてくる。マンマークだ。プロだ。
おそらく店の方針か何かだろう。そしていろいろ話しかけてくる。
「今日休み?」とか「どこのブランド好き?」とか質問を次から次へとしてくる。割とそっけない感じで返しても話かけてくるのを辞めない。だが話かけてくるのは別に嫌がらせをしてきているわけではない。
それが彼の仕事なのだ。全然かまわない。奥でにらみを利かせている怖そうな店長らしき人物もいる。そうこれは彼らにとってビジネスなんだ。
つかなんでため口なん?
うおぉぉぉぉい。さっきからずっとため口じゃん!!
よくわからないがそこの店全員が客に対してため口だった。最初はわたしがダサいからなめられたんだと思ったが、みんなに対してため口だ。平等だ。
おそらく店の方針だ。そうに違いない。
だがここはセレクトショップ。côte&ciel(コートエシエル)は別にどこにでもあるはずだ。そこの店のオリジナル品ではない。セレクトしている一商品に過ぎないのだ。他の店で買えばいいだけの話である。
店を出るとき「これここにしかないから」「もう他いってもいいのないって」などと根拠のないことを言われたが丁重にお断りをして店をでた。
田舎からでてきたダサ坊だった僕はそんなに店を知らなかった。コートエシエルが置いてある店はいくつかあったが、欲しい色がない。もうあの店に戻ってなるものかと意地になって探したが結局本当にコートエシエルは見つからなかった。
さすがプロ。やつはすべてを見抜いていたすごい奴だった。
くやしいけどもうしょうがない。あの店で買うしかない。
戻るとさっきの店員さんが出迎えてくれた。
店員さん「やっぱりさっきの気になっちゃった感じ?」
僕「そうですね。あれ買います」
店員さん「OK。あっあれ奥に新品あるか見てきたほうがいいよね?」
心の中では「おぉぉぉぉん。あたりめぇだろうがあぁぁぁ」と思いつつ、お願いします。と頼んだ。
店員さん「了解!!」
いままで『了解』が敬語なのかどうかでいろいろ議論になっていただろうし、『了解です』『了解しました』はグレーなものだと思っていた。それに敬う気持ち、配慮があれば言葉なんてものは目くじらを立てるほどのことでもないと思っていた。そう思っていたんだ...
もうこの時から僕の中で「了解」はため口だ。決して丁寧な言葉ではない。敬意のかけらもない奴が使う言葉だ。あの時の了解といったやつの顔が頭から離れない。
結論
「了解」はビジネスにおいて使うべからず
*別に接客でため口が悪いとかそんな話ではなく、「了解」はやっぱりため口の一種なんだということを経験したという話でした